第5期 高大古典文学を楽しむ科-西暦2013年(平成25年)

大阪府高齢者大学校「古典文学を楽しむ科」5期生の活動記録

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四月の学習記録

4月15日()一学期の授業がスタート。講師は中川明日佳先生、クラスディレクターは上西さんと杉田さん。受講生は女性23名、男性19名。

4月15日 「古代歌謡(古事記・日本書紀)1」

4月22日 「古代歌謡(古事記・日本書紀)2」

2回の講義で、古代歌謡(古事記・日本書紀・続日本紀・風土記に収められている歌謡。広義では仏足石歌・神楽・催馬楽・風俗歌を含む)について勉強しました。

4月1講師授業

午後のクラスミーティングでは、受講時のマナー・緊急連絡先・受講生台帳・教育会館使用ルールの説明・机の並び替えの当番などに関するオリエンテーションと自己紹介、各班の写真撮影を行いました。

クラスディレクターさんから、高齢者には教養?(今日用)と教育?(今日行く)が大切という楽しい話も紹介されました。

4月2CDミーティング

                                 
一口レポートより抜粋          4月3コーヒー

4月15日
                                 ・少し難しかったですが、よく分かる内容だったと思います。これからが楽しみす。

・十数年ぶりのお勉強 疲れました。

・初めての授業で緊張しました。新しい仲間や知識の習得に期待!

・初めての授業いきなり難しい授業で少々面食らった。

・授業:本格的な内容だったので身が引き締まった。クラス:クラス運営はどうなるか気にかかる。

・久しぶりに勉強して頭が痛くなりました。楽しかった。

・古事記、日本書紀の大要がわかりました。

・休まずに頑張りたいと思います。

・去年も古典を選択した。今年はどんなクラスかな。

                          
                                                                      4月4デザート

4月22日                  

40数年前に受けた史料購読の日本書紀古事記の内容を思い出しながらの授業でした。声に出して読むのはいいですね。

・音読は内容の理解を深めるのに大いに役立ちました。

・これまで古事記は、ムツカシイ人()の名前が多く出てきて読みづらいと思いましたが、名前には意味があることを知り、合点がいきました。

・古事記日本書紀を初めて音読しました。読みづらかった。

・声を出して読むのはなかなか難しいことである、うまく舌が回転しなかった。

・ヤマタノオロチ退治等馴染みの話で一安心、でもこれで古事記日本書紀が終わりは残念。

・須佐之男命の乱暴の基がよくわかりました。

・近隣の神様が、古事記にあるとは面白い。

・早すぎるかも知れませんが、古典文学というものに興味がわいてきました。






4月5こけし                                   
講師・クラスディレクタープロフィール


                                                             

中川明日佳講師    4月数独                              4月歌舞伎                                                                                    

 

愛知県出身                                 

 奈良女子大学人間文化研究科言語文化学専攻、博士前期課程修了

 同 比較文化学専攻、博士後期課程在籍中。 修士(文学)

 「万葉歌碑データベース」の歌碑解説や「中臣宅守の七首歌群」について特に造詣が深い。

 趣味は、歌舞伎鑑賞・野球観戦・数独をすることなど。


                                                                                                                                                                                         

   4月6カメラ                     4月7お酒                            

上西チーフクラスディレクター            

 大阪府高齢者大学校「古典文学を楽しむ科」一期生。 

 アシスタント・クラスディレクター歴四年

H22H23年度「古典文学を楽しむ科」アシスタント、H23年度はチーフ。
H24年度「大阪の良さ再発見科」チーフアシスタント。

H25年度「古典文学を楽しむ科」チーフクラスディレクター

 大阪府高齢者大学校理事

 趣味はカメラ撮影、美味しいものを食べて飲酒すること。

                       

               

杉田クラスディレクター   

 大阪府高齢者大学校「大阪史跡探訪科」一期生。「子ども教室研究科」二期生・三期生。

 アシスタント・クラスディレクター歴三年

  H23年度「歴史中世科」アシスタント

  H24年度「古典文学を楽しむ科」アシスタント

  H25年度「古典文学を楽しむ科」クラスディレクター

  社会活動歴:イベント会場等での科学実験教室サポートや玩具作りの指導

  大阪府のSA(シルバーアドバイザー)認証取得を目指して頑張っています。

4月木工                           4月牛乳パック         

           

  


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  1. 2013/06/12(水) 07:30:00|
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五月の学習記録

5月13日午前:「万葉集の旅(雑歌)」 午後:クラスミーティング 

  5月1地図難波宮周辺   5月2看板難波宮

    

 「難波の由来」(『日本書紀』神武即位前紀)や難波宮の様子が伺える歌(万葉集巻3・三一二)などを学びました。

 戊午年春二月丁酉朔丁未、皇師遂東舳艫相接。方到難波之碕、会有奔潮太急。因以名為浪速国。亦曰浪花。今謂難波訛也。

  
戊午の年の春二月の丁酉の朔にして丁未に、皇師、遂に東し舳艫相接げり。方に難波の碕に到るときに、春潮有りて太だ急きに会う。因りて名けて浪速国と為ふ。亦浪花と為ふ。今し難波と謂へるは訛れるなり。

 
 
昔こそ 難波ゐなかと 言われけめ 今は都引き 都びにけり (3・三一二)

                      5月3コーヒー1             
                           一口レポートより(抜粋)
              

・すぐ近くの難波宮跡を思い 遠い万葉の頃を思う 難波の海は豊かで且つ“重要な所だったのだなあ”

・難波、浪速が万葉集時代からの名称に驚きました。

・市内の地名が出て来て面白かった。味原、堀江、田辺などなど。

 ・恥ずかしながら「万葉集」に4516首もおさめられているとは知りませんでした。声を出して読むのをやはり取り入れて欲しいです。

 ・万葉集の概要に触れることが出来た。三大歌集に関し、興味がわいた。

 ・万葉集は楽しいです! もっともっとお聞きしたいです!!



 午後のクラスミーティングで、各班の班長からクラス委員長を互選、各種行事の各班分担などを決めました。 




  5月4額田王碑   

5月20日午前:「万葉集の恋(相聞)」 

 

 万葉集の相聞歌として有名な額田王歌


  茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流(巻1・二十) 
(あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る)

 は、旧来は三角関係(額田王・天智天皇・大海人皇子)の歌と言われていたが、現在は宴席での戯れの歌と解釈されているとか。
   
                          

一口レポートより(抜粋)           5月5コーヒー2        

 
・万葉集の恋は初めて学ぶので興味深かった。

 ・朝日新聞に万葉集が紹介されており、その際、巻番号と作品番号が書いてあった。ちょうど学習したばかりで興味深かった。

 ・歌と歴史的背景のつながりが良く分かったと思います。

 ・知っている歌も多く楽しかった。

 ・何とはなく入った古典を楽しむ科でしたが、少しずつ楽しめてきました。

 ・歴史書に残っていなくても万葉集に歌として残っている、その歌が読む私たちに生々と当時の人々の情感を伝えてくれる。感動!

 ・おおらかな世界が楽しく思えてきました。




520日午後:共通講義
 高大の「過去、現在、未来」を語る(シンポジューム形式討論会)

    パネラー:藤田綾子(大阪大学名誉教授・甲子園大学教授)
  古川健一(大阪府介護福祉課課長補佐)
  能任秀信(寝屋川市社会福祉協会地域福祉課課長)
  佐藤宏一 (高大理事長) 
  総合司会:和田往士(高大副理事長)


高大の歴史・理念、目指す方向と期待などが熱く語られました。

5月6集中講義1
 

  5月7集中講義2

  

   

   




5月27日 春の遠足

観光ボランティアガイドさんに大阪城を案内していただきました。

高大のすぐ近くにあり日頃見慣れた大阪城ですが、ガイドさんに案内してもらっての見学は初めて。

石山本願寺、豊臣大坂城、徳川大坂城と続く大阪城の歴史や、石垣の巨石に刻まれた寄進大名の刻印が数多くあることなど初めて知ることも沢山ありました。

大阪城見学後、京橋でクラスの懇親会がありました。

5月8日本庭園大阪城 5月9蛸石大阪城



5月10石垣大阪城   5月11刻印石大阪城

  

  

一口レポートより(抜粋)

・大阪城の近くに住んでいても知らないことばかりでした。

・ガイドさんがよく勉強されていて感心しました。身近な場所もガイドされるとよくわかります。

・何回も来た事のある大阪城だが、今回新たな発見があり楽しかったです。ボランティアガイドの方に感謝。  

・立派な石垣にびっくりしました。昔の人の技術に頭が下がります。

・天守閣の中は何度か入ったことがありましたが、石垣や周りにも史蹟が沢山あることを知り勉強になりました。

・何度も大阪城に来ていますが、石垣の刻印のある所をこんなに詳しく教えてもらえたのは、初めてでした。

・大阪城の歴史に一層興味が湧いた。

・50数年ぶりの大阪城 昔の人はすごい!


5月12ビール女性懇親会       5月13乾杯懇親会       5月14ビール男性懇親会

 

            



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  1. 2013/06/12(水) 07:31:00|
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六月の学習記録

六月の学習記録

 

 月3日:「社会への参加活動(津波・高潮ステーション見学)」 

        

  ⑥-①津波高潮ステーション  ⑥-②津波高潮イラスト  
  

  当日は、本来は休館日であるにもかかわらず、開館して頂きました。

 2班に別れて、日頃あまり意識していないことをスタッフの方に説明して

頂きました。

    記録映画等による過去の高潮による被害状況。

    被害を防ぐための対策とその心構え等についての説明

室戸台風、ジェーン台風、第二室戸台風等による被害は、

想像を超える大きなもので大勢の尊い命が犠牲になってしまいました。

そして大阪の大部分は、海面より低い土地であることも再認識させられました。

 

   

    ⑥-③津波高潮見学     

 

 

6月3日の一口レポートより(抜粋)

・津波の恐怖を再認識して、明日への備えを考え直します。

・地震などの話、何回聞いてもぞっとします。避難袋の点検も忘れないようにと思いました。

・大阪は昔から水との戦いで今の時代まで色々くふうされて居るのに感心しました。

 ・短い準備期間でしたのに、素晴らしい施設の見学を手配いただき有難うございました。大変意義深い社会活動になりました。

 ・津波・高潮の恐ろしさがとても良く分かりました。来て良かったです。備えも考えなくては。

 

 

6月10日 午前:「万葉集の哀(挽歌)」 

 

挽歌とは

 人の死を悼み悲しむ内容の歌を分類したもの。もとは棺を乗せた車を挽く道中に吟じた葬歌を意味するが、そうでもない状況の歌も収める。

天智、天武を中心とした天皇家系図を参考にその時代背景や、肉親関係、権力関係等の説明をして頂きそれぞれの歌をより深く感じることができました。

 大君は 神にしませば 天雲(あまくも)の 
五百重(いほへ)の下に 
(かく)りたまひぬ  
                                                        (2・二〇五)

わが大君(おおきみ)は、神であられるので、天雲の 五百重(いおえ)の奥にお隠れになった。

 

 山科(やましな)の御陵(みはか)より退(まか)り散(あら)くる時に、額田王(ぬかたのおおきみ)の作る歌一首

 やすみしし わご大君の 恐(かしこ)きや 

御陵仕(みはかつか)ふる 山科の 鏡(かがみ)の山に 

(よる)はも 夜()のことごと 昼(ひる)はも 

()のことごと 音()のみを 泣きつつありてや 

ももしきの 大宮人(おおみやびと) 行き別れなむ    

(2・一五五)

(やすみしし) わが大君の 恐れ多い 御陵を造(つく)っている 山科の 鏡(かがみ)の山に 夜は 夜通し 昼は 一日じゅう 声をあげて 泣き続けていて (ももしきの) 大宮人たちは 別れて行くのか

                          

6月10日の一口レポートより(抜粋)

・歌の掛け合いあり、「人の死の表現」を考えたり、古典を身近に感じられた一日でした。

 ・講義の内容には満足していますが、原文の読み方に少し時間を割いていただけると有り難いです。

 ・挽歌、悲しみの表現に古人の気持が理解できたように思う。

 ・万葉集の挽歌、本日はよくわかりました。いろいろと想像をふくらますことも楽しいですね。(掛け合いも良いですね)

 ・分かりやすく丁寧な説明で喜んでいます。今日も興味深く聞く事が出来、あっという間に終わりました。

 ・夏季サマータイム授業は、9時からにしたらどうでしょうか?

 

           5月3コーヒー1

6月10日午後:共通講義

 社会とのつながりポジティブに生きるシニアたち

     講師:佐藤 眞一(大阪大学大学院教授)

長寿時代を迎えその中でどのようにポジティブに生きるか、そのための

課題と戦略等について先生の著書を交えながらいろいろな話をして頂きました

   

    

  

 

6月17日 午前: 万葉の四季

万葉集の四季分類、四季の歌を探す手引き書(巻八、巻十)の説明を受けて、

万葉集の四季を詠んだ歌につて説明、解釈の講義を受けました。

また、枕詞についての統計調査の説明がありましたが、ベスト10は以下の通り。

  1.(あしひきの)山             111

  2.(ぬばたまの、うばたまの)黒、夜      80

  3.(しろたえの)衣              52

  4.(ひさかたの)光、日            50

  5.(くさまくら)旅              49

  6.(たまほこの)道              37

  7.(あらたまの)年、月            34

  7.(しきたえの)衣、袖、枕          34

  9.(まそかがみ)見る、懸く          29

  10.(あおによし)奈良            28

10位に入ってよかった(あおによし)?!

           ⑥-⑤姫イラスト

以下は万葉集の中で四季の鳥を詠んだ歌です、声をだして詠んでみてください。

 

        夏:ほととぎす

 なにしかも ここだく恋()ふる ほととぎす 

鳴く声(こえ)聞けば 恋こそ増()され     
                   (8・一四七五 大伴坂上郎女<夏雑歌>

  なんでこう ひどく待ち焦れるのかしら ほととぎすの
鳴く声を聞くと
恋しさが増すけだけなのに   

        冬:たづ(つる)

 (たづ)がねの 今朝(けさ)鳴くなへに 雁がねは 

いづくさしてか 雲隠(くもがく)るらむ  
                   (
10・二一三八 作者未詳<秋雑歌>

(つる)が 今朝ないていたが 雁がねは どこを目ざして 雲に隠れて飛んでいるのだろう

         5月5コーヒー2

617日 午前 一口レポートより(抜粋)

・一回限りの枕詞は案外少ないですね。白雪には先生同様、眼からウロコ、というより考えたこともなかった。

・万葉集の歌は声を出して読むと意味がよく分かるように思います、今回は歌以外にも色々学べてよかったです。

・枕詞の集計は大変良かった。先生の熱意が伝わって感動しました。

・今日も娘に良い土産話が出来ました。特に感心した「白雪」を今日は得意気(?)に話してみます、会うのが楽しみ。

 ・万葉集枕詞ベスト10 good!! 歌の唱和や万葉仮名の読み方の問題作成など、授業の進め方をいろいろ工夫される講師のご苦労に感謝。

 

 

617日 午後:古今集の四季 

万葉仮名の読み方(漢字を大和言葉に置き換える)を教えて頂き、皆、嬉々としてチャレンジしました。

万葉集に比べて、古今集では圧倒的に桜が多く読まれているとのことです。

万葉集で詠まれた花のベスト3

  1位  はぎ

  2位  うめ

  3位  たちばな
  

⑥-⑥桜イラスト 

        「桜」への執着

渚院で桜を見て詠んだ歌

 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし

             (春上・五三・在原業平)

もしもこの世に桜というものが全くないと仮定したら、人々の春の心は本当にのどかでいられるのだが

 

        「色彩」

花盛りの時に都を遠く眺めて詠んだ歌

見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける 

             (春上・五六・素性法師)

はるかに眺望すると、緑の柳と紅(くれない)の桜をみごとにまじりわせて、この平安の都そのものが繰り広げられた春の錦の織物であることよ

        「取り合わせ」

是貞(これさだ)の親王(みこ)の家の歌合(うたあわせ)の歌

 奥山に紅葉(もみじ)ふみわけ鳴く鹿の声きく時ぞ秋は悲しき

           (秋上・二一五・読人しらず)

奥山で紅葉(もみじ)した落葉を踏み分け歩いていると、どこからか鹿の声が聞こえてくる。そんな時こそ、秋の悲しさがひとしお身にしみるのだ。

        「見立て」

 亭子院歌合(ていじのゐんのうたわせ)の歌

 桜花散りぬ風のなごりには水なき空に波ぞ立ちける

                 (春下・八九・紀貫之)

桜の花びらがひらひらと舞っているのは、花を散らした風が残した置き土産だ。それは水面に残る名残(なごり)の波にも似ているが、池の面(おもて)ならぬ水のない空に余波が立っているよ。

        「掛詞・縁語」

 山に郭公(ほととぎす)の鳴きけるを聞きてよめる

 時鳥(ほととぎす)人まつ山に鳴くなれば我(われ)うちつけに恋ひまさりけり        (夏・一六二・紀貫之)

ほととぎすが人を待つという松山で鳴くという話なので、私はにわかに人恋しい気持ちがまさってきたよ。 
                       5月3コーヒー1
              

6月17日 午後 一口レポートより(抜粋)

 ・古今集に、こんなに桜の歌があるのは知りませんでした。とてもきれいな歌ばかりで良いですね。

 ・ユーモアも入り、先生の講義が面白くなってきたのに、もう、お別れ、寂しいです。

 ・仮名変体表はありがたいです。古今和歌集はなじみ深くなります。

 ・古今集は、百人一首に入っている歌が多いので、覚えているものが多くて、親しみ易いです。小野小町とか。

 ・日本人の心の豊かさに驚きます。表現の美しさにびっくりしました。現代は砂漠の世ですネェ!

 

 

624日 午前:古今集の恋

古今集の恋の歌は、チョッとおいて、

ヘラで「難波津の歌」を記した瓦が発見された(2013.5.28毎日新聞)

瓦職人が焼く前に、当時の流行歌のように「難波津の歌」で文字を練習していたようである、古人の勤勉さと「難波津の歌」の浸透度が想像される貴重な発見の説明が行われた。

その後は、名残りを惜しんで最後の講義(古今集の恋)を受けました。 
 
     
  

⑥-⑦姫イラスト縦

        「逢はぬ恋」

 思いつつ 寝()ればや人の 見えつらむ 夢と知りせば  覚めざらましを  (恋二・五五二・小野小町)

あの人のことを何度も恋しく思いながら寝たので、あの人が夢に現われたのだろうか。もしそれが夢と知っていたならば、私は目を覚まさなかっただろうに

        「逢ひての恋」

 逢はぬ夜()の 振る白雪(しらゆき)と 積(つも)りなば   (われ)さへともに 消()ぬべきものを    
                                    (恋三・六二一・読人知らず)

あの人が逢ってくれない夜が、降ってくる白雪の積もるように度重なってしまったら、私は雪とともに消えて死んでしまうでしょうに。

この歌はある人の説では、柿本人麻呂の歌である。

        「逢ひて逢はぬ恋」

 わが袖(そで)に まだき時雨(しぐれ)の 振りぬるは 

君が心に 秋や来()ぬらむ 
                                 (恋五・七六三・読人知らず)

まだその時期でもないのに、はやくも私の袖に涙時雨が降りはじめたのは、あなたのお心にもう秋(厭き)が来たからなのでしょうか。             

                    5月3コーヒー1         

624日 午前 一口レポートより(抜粋)

・「恋の歌」楽しいです。老いていく自分にとって、オアシスのように思います。

・クラスメイトと大和三山に行ってきました。歌人の歌を詠みながら、私も

その地に立ちました。中川先生!一生懸命の授業、有難う御座いました。

・万葉集と古今集の違いが分かり、興味を持った。先生も名調子になって

こられたのに終わるのは残念。

・万葉集、古今集、むつかしいけれど言葉の美しさをもっと勉強したいと思う。

・中川先生の講義で新たな知見を沢山得ることが出来ました。これまで以上に

 古典文学に興味が涌きました。

・古今集の恋の歌、今も昔も恋は楽しくもあり悲しくもあり表現が美しい

歌ばかりでたのしかったです。 

 

    5月3コーヒー1

 

 

624日 午後:共通講義

 超高齢者と生涯学習社会の到来

   講師:堀 薫夫(大阪教育大学教授)

 

 「生涯学習」について、その語句の使われ方、歴史や国、地方自治体等の

かかわり方やその変遷等について面白おかしくお話をして頂き、笑いの絶え

ない講義でした。

   

    ⑥-⑧共通生涯学習

 

        お疲れさま 中川明日佳先生

 毎週、毎週、いろいろと工夫を凝らしてより分かり易く、より楽しくとの配慮、心遣い有難うございました。

 最初の講義の時は、きっと、大勢のオッサン、オバハンに攻められているのではと恐怖に感じたことでしょう。

でも回を重ねる度に、笑顔も見えてかなりいい雰囲気になっていたように思います。

お蔭さまで楽しく、有意義な講義を受けることが出来ました。

明日佳先生に感謝。

                       4月4デザート

 

  1. 2013/07/08(月) 15:29:27|
  2. 未分類

七月の学習記録

七月の学習記録                           
 7月1日: 午前『竹取物語』
      
                        
  本日から、横山恵理先を迎え講義をして頂くことになりました。
  横山先生よろしくお願いします。
 「竹取物語」は、“かな”を用いた日本最古の「物語」であり、かぐや姫の出生から、五人の貴族や帝の求愛を退け、月の世界へ帰るまでの話。その中には、いろいろな伝説や伝承が潜んでいるとのことである。更に五人の求愛者の身分等の上下関係をも表しているものである旨の説明がありました。    
                                                                                                      
また、「竹取物語」の講義に入る冒頭に、今日からの講義の題材である《物語》、《日記》の成り立ちについての説明をして頂きました。そして古典文学における、《物語》と小説の違いを説明、《物語》の構成を理解することが出来きたかな?
 更に、貴重な古書(写本、版本、巻物等)を見せて、触れさせて頂き、皆感激した初講義となりました。  
                  
      
              
《物語》の構成
   ①作者・②語り部・③語り部が主体に語るさまざまな出来事
    源氏物語を例とした場合、
    作者(紫式部)が、語り部(比較的身分の低い女御)も、さまざまな出来事も、創作したものである。
このような構成で綴られたものが古典文学における《物語》であるとのことです。
作者は、何のために《物語》を上記のように構成したのか、どんな効果、メリットを求めたのか?
語り部は、さまざまな出来事を淡々と第三者的に語り、そして時にして女御となって何事かを呟くことにより、聞き手、読み手に「あなたはどうですか?」と問いかけるような効果があるのかなと思ってみたりして。

   

7月1日の一口レポートより(抜粋)
 
       

◆ 竹取物語は美的にとらえていましたがいろんな説があるのですね。もっと詳しく 勉強すればでしょうね(かぐや姫って本当に美しかったの?)                                                                                                                                                                                                                                                                                                                
◆ 写本、版本の貴重な物をお持ち頂き熱意を感じました。楽しく学習でき、今後が楽しみです。
◆ たった2時間で竹取物語の全てを理解させる見事な講義だったと思います。古典に取り組まれる先生の熱意を感じました。
◆ はじめに、物語の文学史を説明して頂き、これからの講義が楽しみです。
◆ 「かぐや姫」は、子供の頃の絵本しか知りませんでした。「物語」を知っていくと、おもしろく興味をひきます。次回が楽しみです。
               
7月1日: 午後 グループミーティング
 秋の体育祭におけるクラスの委員の選出(役割)決定。
秋の社会活動として参加を予定のワッソの専門スタッフによる説明。 

                                                                         
              
《横山恵理先生のプロフィール》
 出身:長崎市   
 現在:奈良女子大学大学院 
人間文化研究科 比較文化学専攻 博士後期課程在学中修士(文学)
    桃山学院大学非常勤講師
 研究テーマ:源氏物語享受史
       特に尼門跡に伝来する絵巻物に関心。
 趣味:古典芸能観賞、寺社・博物館めぐり、そして鹿と遊ぶこと。

 
7月8日 午前:『伊勢物語』・『大和物語』 
□ 前回の講義で残った「竹取物語」の後半につての解釈・説明等が行われました。
「竹取物語」には、“かな”を使うことによって、その言葉を縦からも、横からも、斜め15度からも解釈できる楽しみ方があるとのことで、特に物語の中に表れる七つの言語の説明、そして「竹取物語」をどのように解釈するか等の話をして頂き、より興味深く講義に聞き入り、「竹取物語」の講義を修了しました。  
                
□ 「伊勢物語」とは、天皇になりうる皇族であった在原業平の一代の物語とされており、なぜ「伊勢物語」というタイトルになっているのか明確にされていないとのことである。伊勢の斎宮にかかわる部分が多く取り扱われており、かつ重要であることから「伊勢物語」の名前がつけられたとの説が最も有力であるとのこと。
□ 第五九段「彦星」に“アベノハルカス”の語源ありと教えて頂きました。

いかでものごしに対面して、おぼつかなく思いつめたること、すこしはるかさむ
  なんとかして、物隔てにでもお目にかかり、待ち遠しい気持ちで思い重ねた心の中を、少し晴れやかにしたいものです

“ハルカス”意味は、“晴れ晴れとした”が適切なようです。
したがって“アベノハルカス”は、「晴れ晴れとした阿倍野」となるのかな。

                                                                            
□ 「大和物語」は、「伊勢物語」、「竹取物語」と趣が異なるところがあるそれは、

  亭子の帝、いまは・・・・弘徽殿の壁に伊勢の御の書きつけける
  
  「亭子の帝」→宇多天皇
  「伊勢の御」→宇多天皇の寵愛を受けた御前

  
  他の物語は、伝説や伝承を元に物語として描いたものであったが、「大和物語」は実在した現実を物語としていることが前段の物語と著しく異なるところであるとのことでした。

7月8日の一口レポートより(抜粋)
◆ 源氏物語は、伊勢物語が源になっていると初めて知りました。
◆ 自習で「伊勢物語」「大和物語」の古文での通読にトライしましたが、何せ実力不足で歌の意味が分からないまま読み進めることになってしまいました・・そんな中で個人的には「大和物語」の方に、より強く心惹かれました。
◆ あべの「ハルカス」が伊勢物語彦星のすこし「はるかさむ」からとられているとは!!
◆ 大変すばらしい講義でした。クラスのペースが合っていると実感いたします。 
          
     
7月8日 午後:共通講義 
テーマ : 健康、予防、ぴんぴんコロン、お酒と健康,QOL
高島クリニック 院長 : 高島 正広 医学博士

  高島先生は、10数年に及ぶ救急医療現場の最前線でご活躍され、現在は予防医療の方面でいろいろな活躍をされています。
先生の医療現場での経験をもとに現在、そして今後の目指す医療について実体験を通してのお話をして頂きました。そして、遺伝、生活習慣等を通して人間の体に発生しうる病の因子に対する予防等についての説明や、それらの予防治療について説明して頂き、多くの皆さんが関心を持ったようでありました。そしてこれらの治療、医療のどれを何を選択するかは個々人が決めるべきものである旨、その上で人生の品質(クオリティ オブ ライフ)を高めてもらいたいとのお話がありました。
共通講義で最も多くの、かつ内容の濃い質疑応答があり、最後まで会場が盛り上がりました。
高島先生、貴重なお話、有難うございました。

                

7月22日 午前: 白熱教室「物語における<女>と<男>」
 さまざまなものの境界(男/女、天/地、聖/俗 等)が揺らぎつつある現在において、今回は「物語における<女>と<男>」とのテーマで「とりかへばや物語」や「虫めづる姫君」をとおして、「セックス」(生物学的性差)、「ジェンダー」(社会的性差)等について、主人公の男女が入れ替わった中で起こるさまざまなエピソードや、周りの人々の関わり方や、考え方が変化していく様子を面白く、わかりやすく講義をして頂きました。また講義の冒頭に講義終了時に各人が「とりかへばや物語」や「虫めづる姫君」についての感想や、男女の(生物学的性差)、(社会的性差)等の境界についてどのように感じているか等の感想や、意見を聞きたいとの求めがありました。そのため後のことを思うと・・・講義に集中できなかったかもしれない、緊張した時間となりました。 
                                       
 『とりかへばや物語』
・ 現存しているのは「今とりかへばや」と呼ばれ、改作されたものである。
「古とりかへばや」は散逸。(火事や水難等で失せたと考えられる)
・ 成立年代「今とりかへばや」は、12世紀後半
・ 作者は不明

□ 瓜二つの異母兄弟が、どういうわけか男女の性質が入れ違っていることを発端とし、男女を入かえて世に出す物語。異性装によって引き起こされる悲喜劇を描くという趣向がみられる。
□ 『とりかへばや物語』や『虫めづる姫君』の時代においては、いづれ、男は男、女は女に返ることが必然であり、小さいときは虫好きな少女であった・・・と微笑ましく読むことが出来るが、もし、『平成・とりかへばや物語』が作られたとすれば、どんなストーリーになるのだろうか・・・・・。
                                                                            
7月22日 午前 一口レポートより(抜粋)
◆ 虫めづる姫君が毛虫を袖に入れて身をかくした。可愛いい!!
◆ 何時の時代にも「とりかえばや物語」の様なことがくり返されているのだなぁと感じました。
◆ 昔も今も、男と女はわからないことだらけということか?
◆ 講義の内容はとても楽しかったのですが最後の発表のことを思うと・・・
◆ 先生の「人間的魅力」のあふれた講義だったと思います。
                                                     
7月22日 午後:クラスミーティング
ワッソへ参加「古典文学を楽しむ科」は、衣装を着けて形に参加することを基本とする旨の周知。
次回(7月29日)を最後に夏休みに入る。各自、各班は休み明けに行われるイベントについての準備を行う旨の周知。

7月29日 午前:日記文学 『土佐日記』・『蜻蛉日記』
□ 前回(7月8日)までの「竹取物語」、「伊勢物語」、「大和物語」についての一口レポート、質疑等における疑問、質問、感想等について補足説明や、いろいろな解釈等について解説して頂きました。
□ 「伊勢物語」は、在原業平の一代記であり業平の死をもって終わっている、「大和物語」は、連続性のない短編集といろいろな物語が綴られている旨の説明を受けて、それぞれの残りの部分の音読を行い、説明をして頂き「伊勢物語」、「大和物語」の講義が修了しました。
□ 『土佐日記』(とさにっき)・『蜻蛉日記』(かげろうにき)
『土佐日記』は、935年頃に成立。
以下のことから紀貫之が作者であることが確認。
「恵慶法師集」192番歌 
つらゆきがとさの日記を、ゑにかけるを・・・   
                                          
土佐の国司の任期を終えて都へ着くまでの、旅の間の見聞や海路の辛苦のさま、亡児への追想や歌などをおりまぜて記した旅日記である。また日本最初のかな文字日記で、女性に仮託して仮名書きで記されたものである。
また、男の日記は、男性官人の漢文日記、“具注暦”(詳細な暦の余白に書き込んだ事実の記録)であった。
地図を見ながら海岸沿いの船旅であったことを知り、以外に思ったものです。
また、都の貴族が任期を終えて帰るときには、大きな財産を作って持ち帰るのを海賊が探知していたことを警戒したのか、貴族:紀貫之の心情が表れているような気がしたものである。                                        
 
『蜻蛉日記』は、974年以後の成立。
作者は、藤原道綱母とされている。
藤原兼家と結婚の後、不安定な結婚生活から、苦悩や嫉妬や絶望を重ねつつ、一子道綱への愛や芸術の世界に平安を見出す21年間の心の遍歴を自伝風に綴ったものである旨の説明がありました。
そして、『土佐日記』、『蜻蛉日記』の音読を楽しんで講義終了となりました。
                 
                              
7月29日 午前 一口レポートより(抜粋) (レポート未入手:後で追記します)  
         
   

7月29日 午後:『源氏物語』 須磨・明石  

                
『源氏物語』1001年頃から書き始めれたと想定され、1008年に一部が流布されていおり、54帖で構成さている。
今回の須磨(12帖)・明石(13帖)は、光源氏の人生のどん底の頃の話である。
源氏物語の関係系図、光源氏の王権回復のチャートで源氏物語の大きな流れの説明をして頂き、なぜ最初の源氏物語の講義がここから始まったのか理解できるような気がしました。
また、光源氏が都落ちして落ち着いた隠遁生活の場所が、何故“須磨”であるのか、何故“明石”ではいけないのかの説明で“須磨”がかろうじて“畿内”に入るところであり、“畿内”にとどまることに大きな意味(復権への準備等)があるとの話を聞いて、“畿内”の重要性のようなものを感じました。
畿内とは、摂津、河内、和泉、山城、大和の5つの国のことであるとのことです。
そして、須磨への退去、明石の入道、明石の姫君等の音読、および解説をして頂きました。
次回が楽しみです。
                           
7月29日 午後 一口レポートより(抜粋) (レポート未入手:後で追記します)
                                                               

《夏休みを迎えて「古典文学を楽しむ科」の暑気払い》
7月29日午後4時から、松下IMPビル26階
「パノラマスカイレストランアサヒ」において盛り上がる。

                    
                      

                                                                      
             
暑い8月を乗り切って、9月2日は全員元気な顔でお会いしましょう!!!
  1. 2013/08/13(火) 16:10:59|
  2. 未分類

九月の学習記録

どんな夏休みでしたか?

 夏休みも終わり、さぁ~今日から頑張ろうと家を出るが、外は雨。駅に降りても、雨が降り続いている。でも足は軽やかに学校を目指して、「久しぶり~元気だった?」学友の顔を見ると元気が出てくる。そして、横山先生の授業が楽しみです。                                                                               C01あさがお

 

7月29日 午前 『土佐日記』『蜻蛉日記』一口レポートより(抜粋)

◆地図と照らし合わせながらの土佐日記の旅楽しかったです。

◆当時の海上旅行の大変さ、海賊をさける工夫など、夜の船出には何か意味があったのか?

◆紀貫之が赴任地の土佐から都へ帰る記録、心情が詳しく記されていて興味深く感じた。

◆だんだん古典が面白くなってきた。

◆土佐日記、先生の興味深い解説にのって、文字解釈を超えて航海学にまで発展しました。

7月29日 午後 『源氏物語』一口レポートより(抜粋)

◆光源氏の女性関係が複雑すぎて話についていけない感じです。

◆楽しみにしていた源氏物語が始まって、楽しみが増えました。

◆いよいよ源氏に突入、この機会に読み直してみようと思う。(もちろん、現代文で)

◆「源氏物語」は若い頃、敬遠していました。純粋な愛を感じませんでした。今は、少し興味があります。

◆質問です。一話二話でなく、どうして「帖」なのでしょうか?

 ☆横山先生から答えて頂きました。それは

  後になって巻物になったが、はじめは冊子本だったので「帖」になった。 
 「帖」は折り本や帳面を数える語です。

 


九月の学習記録

9月2日 午前:『源氏物語』須磨・明石~『宇治十帖』

前回の講義の補足を先生からして頂きました。

補足1 『蜻蛉日記』の道綱の母 藤原道綱について

955年~1020年生存、大納言まで累進したが大臣にはなれなかった。病のために出家。66歳で亡くなる。諸書に芳しくない逸話があるそうです。ひらがな、漢字読めなかった等。

補足2 『土佐日記』にでてくる船(舟)って、どんな船?

 P01舟             

                       こんな船だったようですよ                                      

『源氏物語』須磨・明石

明石の君は、パワーをもっている人で光源氏は明石の君と結婚をすることで運勢があがっていった。明石の君と出会ってから、光源氏の兄・朱雀帝から京へ帰還あるべき仰せ言がくだった。  
 光源氏生涯
      

 貴種流離譚(きしゅりゅうりたん)とは、貴い家柄の英雄が本郷を離れて流浪し、苦難を動物や女性の助けなどで克服していく話。まさに光源氏と明石の君のことですね。


『宇治十帖』

 P02三姉妹  P03浮舟
『宇治十帖』とは
、源氏物語54帖のうち、「橋姫」から「夢浮橋」までの最後の10帖のこと。ここでは宇治を舞台に、光源氏の死後、源氏の実子とされているが、実は女三宮の不倫の証しとしてうまれた柏木の子の薫の君と、明石の中宮の生んだ三男で、源氏の正統な孫に当たる匂宮という二人の若き貴公子を中心に据え、宇治に隠棲した源氏の異腹の弟、八の宮の三人の姫君との恋の物語が描かれている。『宇治十帖』で最初に描かれるのが、薫の君、匂宮、長女大君、次女中の君の恋模様。父・八の宮の死後、八の宮を慕い宇治に通っていた薫の君は、姉妹たちの後見人となり、彼女らの面倒を見る。はじめから姉の大君は、薫の君の愛情を気強く拒み、妹の中の君と結婚してほしいと懇願。薫の君は強情な大君に業を煮やして、匂宮と中の君との仲を取りもち、先に二人を結びつけてしまう。ところが次第に匂宮の訪れは途絶えがちに。このことを気に病んだ大君は心痛のあまり寝込んでしまい、やがて薫の君に心を開くようになるものの、二人
は結ばれることなく、死んでしまう。それから大君に似た中の君に思いをつのらせるが、中の君から亡き姉に似た異腹の妹浮舟を紹介される。浮舟は大君、中の君の両方の身代わりとして薫の君に囲われる身となった。また、浮舟はそんななか、匂宮と出逢った二人はたちまち溺れてしまう。そして、そのことを薫の君は知ってしまう。薫の君と匂宮の間で揺れ動く浮舟は入水を決意するが、横川(よかわ)の僧都の一行に助けられる。

         P04浮舟入水

手習(浮舟のこと)歌から浮舟の心情が読み取れる

☆浮舟 小野の僧庵にて、自らの半生を回想

 

身を投げし 涙の川の はやき瀬を

           しがらみかけて 誰かとどめし

涙にくれて身を投げた川の早瀬に、誰がわざわざしがらみをかけて、この自分をひきとめ救ってくれたのだろう

 

われかくて うき世の中に めぐるとも

             誰かは知らむ 月のみやこに

この自分がこうして厭(いと)わしい、この世の中に生きていても、都の人たちの誰がこのことを知っているだろうか

 

はかなくて 世にふる川の うき瀬には

           たづねもゆかじ 二本(ふたもと)の杉

こうして頼りない有様でこの世に生き長らえている情けない身の上なのだから、わざわざ初瀬川の二本(ふたもと)の杉を尋ねていこうとは思わない

 

浮舟 出家を遂げる

亡きものに 身をも人をも 思ひつつ

              棄ててし世をぞ さらに棄てつる

わが身をも、また思いを寄せた人をも、もうこの世にないものとあきらめて、一度捨ててしまった世の中を、さらにまた捨ててしまったことよ

 

新年 清澄な気持ちで、往時を懐かしむ浮舟

袖ふれし 人こそ見えね 花の香の

        それかとにほふ 春のあけぼの

袖を触れて私ににおいを移したお方の姿は見えないけれど、そのお方のそれかと思わせるように花の香がにおってくる。春の明け方よ

☆浮舟は、沢山の歌を残しています。

                                    C02カップ

9月2日の一口レポートより(抜粋)

◆源氏物語は、いつ話をきいてもワクワクする要素が沢山ありますね。

◆登場人物の相関関係が複雑で混乱してしまいます。

◆現代語訳では2,3種類のものを読みましたが、今度は古文自体に挑戦していきたいと思います。

◆何故、不倫の子であるというのがわかるのだろうか?

宇治十帖」、夏休みに現代語で読んだ。終わりがあっけなく、それが何かを考えさせるようになっていると感じた。

           P05弟

9月9日 午前『宇治十帖』~『紫式部日記・和泉式部日記・枕草子・更級日記』ほか

     〈紫式部〉をめぐる人々

助けられた浮舟の生存を知った薫は、恋文を使者(浮舟の異父弟)に託するが面会を拒否するというところで幕を閉じる。『宇治十帖』では、ここで話が終わっているのですが、鎌倉~南北朝期には『山路の露』という続編が作られた。

『源氏物語』続編

・『山路の露』・・「宇治十帖」続編

・『雲隠六帖』・・「雲隠」、「巣守」、「桜人」、「法の師」、「雲雀子」、「八橋」

         「雲隠」、「巣守」:光源氏没後の話

         「桜人」~「八橋」:薫と浮舟の結婚など

・『源氏物語』五十四帖+『雲隠六帖』=六十帖:天台宗の基本経典「天台六十巻」になぞらえたか?

☆『山路の露』-『源氏物語』続編-

*成立 鎌倉時代初期か?

*作者 不明

*内容 宇治十帖の続編として書かれた。『源氏物語』内で描かれなかった薫と浮舟の再会場面を中心に描かれている。〈夢浮橋巻〉の終わり方に満足できなかった作者が、その後の展開を書き継ごうとしたものか、あるいはそういう『源氏物語』読者の要望を受けて作られた作品であろう。

☆参考:他の中世王朝物語における例-『恋路ゆかしき大将』-

*成立 鎌倉時代末期か?

*作者 不明

*内容 ・源氏物語の薫大将も、内親王を正妻としてお迎えする一方で、手習の君(=浮舟)を近くに迎えてすま
                せようと家を造らせたのだ。

    ・(源氏物語の)宇治川あたりの遠方の里もこのようであろうかと思いやられて、人目もなく恋路(男
                君)は女君とゆっくり語りあってお過ごしになった。

 
                      紫式部                  
        

 〈紫式部〉の『源氏物語』執筆動機

☆〈紫式部〉は、これまでの伝記研究の成果をふまえれば、夫であった藤原宣孝が没した長保三年(1001,29歳か)ごろから『源氏物語』の執筆を始めたと推定される。その頃に詠んだとみられる次のような歌が『紫式部集』にある。

 

身を思はずなりと嘆くことの やうやうなのめに

              ひたぶるのさまなるを思ひける

 

数ならぬ心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり

 

心だにいかなる身にかかなふらむ思ひ知れども思ひしられず

 

 
「心」は生活していくための自分の意志、「身」は身の上や境遇にあたるもの、〈紫式部〉はそうした自分の「身」と「心」の違和感に思い悩んでいる。父に近いほどの年上であった夫宣孝との結婚生活は二年あまりで、二人の間には娘の賢子が残されていた。これまでも多く推定されてきたように、寡婦として自分の生き方に思い悩む〈紫式部〉は、その思いを『源氏物語』を書くことによって超克しようとしたのだと考えることができる。


『源氏物語』は、光源氏や薫または匂宮などの男君たちと関わった女君たちが、その「身」(境遇)の限界を克服して、どのように生きることが可能かという「心」(意志)を探求し続けた物語である。

『紫式部日記』は主家である道長一族の栄光の記録と裏腹に、それを讃える〈紫式部〉自身の憂愁の心をも表出している不思議な日記である。

『和泉式部日記』:和泉式部の自作、他作両説がある。長保五年(1003)四月から翌年正月までの、敦道(あつみち)親王との恋愛の初期の経過を贈答歌を中心に物語風にしるす。和泉式部物語。主人公が設定され、「女」と三人称化されている。

『更級日記』:日記。1巻。菅原孝標女(たかすえのむすめ)著。13歳の寛仁四年(1020)9月、父の任国上総(千葉県)から帰京した旅に筆を起こし、夫、橘俊道(たちばなとしみち)と死別した翌年、康平二年(1059)52歳の頃までの回想記。物語への憧れと夢の記事が多い。平安時代の中流貴族の女の半生が鋭い感覚で印象的に記される。さらしなのにき。

                             C02カップ

9月9日の一口レポートより(抜粋)

◆初めて学んでいる古典文学です。楽しく学べて読破したと思う気持ちになりました。

◆『源氏物語』の続編があったとは・・・。宇治十帖でおしまいと思っていたのでびっくり!

◆『源氏物語』執筆の動機や身と心の違和感で悩んだ事など、よくわかりました。

◆源氏物語が単純にストーリーを追っただけのものではなかったことに驚きました。

◆原文を読んでみようと思います。まさか、そんな気になるとは自分でも信じ難いことになり有難いです。                                                                     C03バラ

これで横山恵理先生の授業が終わりました。

最後の授業で先生の方から受講生に「物語を楽しむ受講生の瞳が輝いているのを見て、私の方が初心に戻って仕事の楽しさを感じた」とおっしゃって下さり、私自身その言葉にとても感動しました。そして、貴重な古書を見て触れさせて頂き、その感覚はいつまでも忘れないでしょう。有り難う御座いました。





    

 C04コスモス9月30日から7回、向村 九音(さきむら ちかね)先生の講義          を受けます。
                          向村先生、よろしくお願いします。


9月30日 午前:
今昔物語集

『今昔物語』とは

①保安元年(1120)頃成立か。

②作者に関しては、源隆国説、鳥羽僧正覚猷(かくゆう)説などあったが、未詳。近年、東大寺・興福寺周辺で成立したことが説かれたが、確証はない。

③全31巻だが、そのうち8・18・21巻は欠けているので、現存するのは28巻分である。

④天竺(てんじく・インド)、震旦(しんだん・中国)、本朝(ほんちょう・日本)の説話・千余りを収める、日本最大の説話集。⑤各説話が例外なく「今は昔」で始まり、書名は、“今昔物語の集”の意となる。⑥漢文訓読調に和文脈をまじえた文体で、古写本は片仮名宣命体で書かれている。

*宣命体(せんみょうたい)・・・「宣命書き」とも言う。「宣命」とは漢文で書かれた天皇の命令を和文的に書き直したもの。助詞・助動詞や用言の語尾などを、一字一音式の万葉仮名、または片仮名、平仮名で、行の右に寄せ、または二行に割って小さく記す。⑦現存する写本(=印刷したものではなく、本文を書き写した本)は60本を数えるが、その大部分は鈴鹿本を祖本とする。*鈴鹿本(すずかぼん)・・・国宝。現存最古の写本。鎌倉中期に書かれる。

                 P07鈴鹿本  
                     鈴鹿本  片仮名宣命体

                 

                                        

『今昔物語集』に見る住吉の神様

**「住吉」関連記事**

《1》巻12、第36 天王寺別当道命阿闍梨(べっとうどうみょうあじゃり)の

《2》巻14、第18 僧明蓮(みょうれん)、法花を持ちて前世を知れる語(こと)

《3》巻19、第29 亀、山陰(やまかげ)中納言に恩を報ずる語

《4》巻24、第51 大江匡衡(まさひら)の妻赤染(めあかぞめ)、和歌を読む語

 

《2》巻14、第18僧明蓮(みょうれん)、法花を持ちて前世を知れる語(抜粋)

 (僧明蓮は熱心な法花経持経(じきょう)者であり、巻1~7を暗誦することができたが、なぜか巻8だけはできなかった。稲荷、長谷寺、金峯山(きんぶさん)に参籠したが効果はなかった。熊野に百日籠もると「住吉明神に申せ」というお告げが得られ・・・・・・)

このお告げにより明蓮はすぐさま住吉にお参りし、百日籠って祈請(きしょう)をこめると、夢に明神がお告げになった。「そのことはわしもだめだ。ただちに伯耆(ほうき)の大山に参詣しお願いせよ」と。

 (大山の大智明菩薩は、「おまえは前世、牛の身だった時に『法花経』の巻8だけを聴かずに帰ってしまったため、現世でも巻8だけ暗誦できない。身・口(く)・意の三業を正しく保って『法花経』を読むとよい」と告げた。)

 

《4》巻24、第51 大江匡衡(まさひら)の妻赤染(めあかぞめ)、和歌を読む語

『今昔物語集』巻24、第51と『古今著聞集』巻5(和歌第6)(176話)の類話と比較してみました。そして、『古今著聞集』巻8(孝行恩愛第10)(302話)を子ども立場から親を思う気持ちが書かれていました。どんなお話か『今昔物語集』巻24、第51で紹介します。

 今は昔、大江匡衡(おほえのまさひら)の妻は赤染時望(あかぞめのときもち)という人の娘である。衡はこの妻に挙周(たかちか)を産ませたのである。その挙周は成長してから漢詩文の道に達していたので、朝廷に出仕し、ついに和泉の国司になった。

 その任国に下った時、母の赤染も同行したが、挙周は思いがけず病にかかり、何日も病床に臥し、次第に病が重くなったので、母の赤染は住吉明神に御弊を奉らせて、挙周の病気平癒を祈ったが、その御弊の玉串に書きつけて奉った歌。

  子の命に代わろうと 思う私の命は 少しも惜しくはないが、 そのためにこの子と別れなければならぬことが悲しく思われることだ。

 その夜、ついに挙周の病は平癒した。
 

              P08住吉明神   住吉明神

 

*語釈*

赤染衛門(あかぞめえもん)

平安時代中期の女流歌人。生没年不詳。赤染時用の女。ただし実父は平兼盛か。はやくは藤原道長の室倫子に仕え、大江為基と恋愛、のちその従兄大江衡と結婚して、挙周・江侍従(ごうのじじゅう)らを儲けた。良妻賢母の説話が多く、『紫式部日記』にもその人柄が称揚されている。

大江匡衡(おおえのまさひら)

952~1012年。平安中期の儒者。維時の孫。赤染衛門の夫。文章博士(もんじょうはかせ)。一条・三条天皇に侍読として仕える。詩集に「江吏部集(ごうりほうしゅう」、歌集に「大江衡朝臣集」などがある。

大江挙周(おおえのたかちか)

?1046年没。平安時代中期の儒者。衡の子、母は赤染衛門。寛仁三年(1019)和泉守となる。文章博士。

 

9月30日 午前 『今昔物語』一口レポートより(抜粋)

◆子どもの頃遊びに行った、住吉大社が歌の神様だったことを知って、改めてお参りに行きたいと思った。

◆本が容易に手に入らない時代の人々が、写すことで多くの人々に伝えていったのだと思うと、貴重な文化財だと感じました。

◆向村先生の声が素敵で聞き取り易く、今昔物語の内容も分かりやすく、今借りている本も早く読もうと思います。

◆神様が和歌を詠まれたとは、ちょっと驚きました。

◆『法華経』を『法花経』と書くのは、何か理由があるのですか。

 

  1. 2013/10/09(水) 22:00:00|
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十月の学習記録

10月21日(月)発心集
発心集は鎌倉時代に成立した説話集です
作者ー 鴨長明
時代背景ー 平家が台頭し平安京から、福原京に移り 源平の戦い と激動し 天変地異もある
下鴨神社の禰宜・長継の子で、父を失い次第に貧しくなる。
和歌は源俊恵に学び、藤原定家らの主要な寄人に比べると花壇的な地位は低かったが、後鳥羽院の信任は厚かった。しかし和歌所を去り、五十歳で出家して大原の奥に隠棲し隠者として暮らす。五十七歳の秋には鎌倉に下向し源実朝に謁する。
日野に移り方丈の庵を結んだのは承元ニ年頃とみられ建暦ニ年に、述作した方丈記に簡単的確に述ている。
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去る10月22日は京都・時代祭でした。
十月二十二日の時代祭に三班で参加しました。そして時代祭の後に、下鴨神社に参って糺の森河合神社の中に再現されている方丈を見学して来ました
方丈 



発心集(巻一の十)天王寺 隠徳の事 付乞食聖の事を読む
四天王寺は もと天台宗であったが、現在は和宗の総本山。日本最初の官寺。
発心集などの中世仏教説話集には、ただひたすら名利を遁れ乞食行などをし姿を隠そうとする聖が現れる。
この説話には、瑠璃聖と仏みょうが登場する。
彼らはなぜ物狂のようにしていたのだろうか?
何から逃れようとし、何を求めたのだろうか?
世間ではよく偽善という言葉を耳にするが、偽悪という言葉は聞き慣れない。
この説話に登場する瑠璃聖、仏みょうは、乞食行などをし、自らを悪として偽るのである。
なぜ彼らは、偽悪する必要があったのか、それは高徳という名声からである。
身辺にまとわりつくもの一切を捨て ただひたすらに 極楽往生を願う生活を志したのである。

(ワンポイント)
西に向かって合掌するのは「阿弥陀如来がいらっしゃる極楽浄土」があるから。

(一口レポート)
◆ひたすら、極楽浄土を願う生活を送る事が、幸せなのかな?
◆モノクロとおっしゃたように、今日のお話は難しかったです。
◆発心集は下鴨神社禰宜系の鴨長明なので親近感が出ました。
◆発心集は読んだことはなかったのですがとても興味がわき読みたくなりました。
◆倫理的で楽しい楽しい授業でした




向村九音(さきむらちかね)先生の紹介
出身 愛知県
奈良女子大学大学院 人間文化研究科
博士後期課程 (現在)
大和 南山の寺社縁起の変遷を研究テーマ
とします。
趣味は寺社めぐり 旅行 カラオケ



10月28日(月) 小倉百人一首 (小倉百人一首成立の謎 )
藤原定家撰とされる 「百人秀歌 」が「百人一首」に近い内容を持つことから、百人一首の成立にも定家が深く関与してるだろうとされる。しかし後鳥羽院 順徳院という院号は、定家死後に与えられたものであり、後人の手が加わった形跡が見られる。百人一首は後鳥羽院・順徳院の詠歌の収録ーを成し遂げる為のものだったのではなかろうか。



(小倉百人一首の中の“大阪”を詠んだ和歌)
次の五首があります⇒


18 住之江の岸に寄る波よるさへや 夢の通い路一目よくらむ
作者 藤原敏行
夢においても人目を忍ぶ恋のもどかしさ
「寄る」「夜」同音のくり返しで、夜を導く序詞
人目よくらむ「よく」は避ける意。ここで人目を
避けているのは作者とする説と相手とする説がある



19 難波潟短き葦のふしの間も 逢はでこの世を過ぐしてよとや
作者 伊勢
難波潟の葦の短い節と節の間のような、ほんのわずかな時間でも、
逢わないままこの世を終えてしまえと、あの人は言うのだろうか。
「ふしの間も」は「短い節と節の間」「ほんのわずかの時間も」と
いう二重の意味で解釈する。
「よ 」は「世」(男女の仲、世間、人生などの意」




20 わびぬれば今はたおなじ難波なる みをつくしても逢わむとぞ思ふ
作者 元良親王
(あなたとの噂が立ち、)こんなにも悩み苦しんだのだから、今となっては
もう同じ事です。難波にある澪標ではないが、わが身を尽くしてもあなたに
逢おうと思います。
みをつくし 「澪標」と「身を尽くし」の掛詞。
「澪標」は通行する船に水脈や水深を知らせるために目印として立てる杭を
浅い河口港に設けた。特に難波のみおつくしが有名。



72 音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ
作者 祐子内親王王家紀伊
噂に高い高師浜のあだ波はかけまいよ。浮気な人に思いを
かけて、袖を涙で濡らすことになったら大変ですから。
「高師の浜」は和泉の歌枕。
あだ波はむだに寄せては返す波。浮気な人間のこと。


88 難波江の葦のかりねのひとよゆゑ身を尽くしてや恋ひわたるべき

作者 皇嘉門院別当
難波の入江の葦の刈り根も一節ではないが、ただ一夜の旅の仮り寝のために
わが身を尽くして恋いつづけなくてはならないのだろうか.。
刈根(刈り取った根)と仮寝(旅先での宿り)の掛詞。
ひとよ(節と節の間、短いことを喩える)と「一夜」の掛詞。
「 難波江 」「葦」「刈根」「一節」「澪標」は縁語
(艶をもつ一首に歌い上げている)



[小倉百人一首の分類]
(春) 五 首
(夏) 四 首
(秋) 十七首
(冬) 六 首
( 恋) 四十四首
( 覉旅 ) 四 首
(離別 ) 一 首
( 雑 ) 十九首


10月28日(月) 一口レポート
小倉百人一首の大阪を歌った様子から当時を思い描けました。

◆日本語の豊かさ、美しさを再認識するおもいです。
◆百人秀歌と小倉百人一首、承久の乱時の政治に関し選者の気遣いなど……

◆かるた取りとして楽しんだだけの百人一首、これからももう少し深く
楽しめそうです。

◆大阪の地を詠んで五首の中は、クールな一首と情熱的四首について
学びました。
  1. 2013/10/26(土) 09:33:40|
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十一月の学習記録

11月4日(振替休日・月曜)社会への参加活動《四天王寺ワッソ巡行行列参加》


□11月4日(振替休日・月曜)《四天王寺ワッソ》
○高齢者大学校からの四天王寺ワッソへの参加は今年で2回目となりました。古典文学を楽しむ科とハングル入門科、とカメラ芸術科?がイベント参加と、聞き及んでいます。総勢50人位ですが、今後参加人数が増大すると予想されます。天気予報は「雨のち曇り」で、かなり心配な天気でした。途中に強い雨が降り出して進行が一時間以上ストップしたりしました。出場者の着替え場所は、難波の宮跡公園の東隣のアネックスパル法円坂(教育会館)が最適だったようで、高大の3階教室がそのまま着替え場所だったのは、好都合です。
○集合時間と場所:アネックスパル法円坂4階事務所(大阪市教育会館)に午前11時に集合、食事後時代装束に着替えて、午後から行幸行列参加予定でした。結局、雨で一時間程待たされましたがなんとか参加できてよかったです。

○開催場所:難波の宮史跡公園

生憎の天気で、雨が降ったり止んだりでした。既に会場では高校生集団が事前の練習をやっていました。
○開始時間:10時30分~15時30分頃まで
「古典文学を楽しむ科」で巡行行列に参加予定でした。総勢1000名の行列です。大高大は、他にハングル初級科も参加されていました。
『高大古典文学を楽しむ科』では、社会への参加活動として『四天王寺ワッソ』行列への参加希望者は22人でした。他に、準備活動や衣装の着付けにも参加していました。





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巡行コースは下の画面のとおりおよそ200メートル程度です。


○【古典文学を楽しむ科】は「高句麗(こうくり」・紀元前1世紀~666年)の隊列に参加です。
高句麗は、中国東北・朝鮮半島に勢力を有した古代国家で、始祖朱蒙(チュモン)が紀元前1世紀から部族連合国家を組織して、次々と領土を拡大しました。

古典文学を楽しむ科としては、

伊利之使主(いりしのおみ)の隊列と、

高麗王若光(こまおうじゃっこう)の隊列に参加しました。

伊利之使主(いりしのおみ)は、
656年、高句麗の使者として来日。以後倭に定着し、京都に朝鮮半島の神であるスサノオノミコトを祭る社を造営しました。これが現在の京都八坂神社です。



高麗王若光(こまおうじゃっこう)は、
666年、朝鮮半島が新羅に統一された際、一族とともに来日した高句麗の王族。その統率力をもって、当時大量に倭に移住した高句麗系の人々約1700人のリーダーになりました。治めた武蔵野国高麗郡(現埼玉県)には現在も高麗神社が残っています。


ワッソネット2014

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2013 四天王寺ワッソ 女人舞楽「登天楽」

交流の舞 四天王寺ワッソ 大阪・難波宮跡公園

四天王寺ワッソ2013_サムルノリ「夢舞」

四天王寺ワッソ-1 2013年11月4日

2013 四天王寺 ワッソ


(参考1)四天王寺ワッソ2012前

(参考2)四天王寺ワッソ2012後


(参考3)四天王寺ワッソ参加女優キョン・ミリさん(朱蒙、チャングム)





【2013四天王寺ワッソ1】
【2013四天王寺ワッソ2】
【2013四天王寺ワッソ3】
【2013四天王寺ワッソ4】
【2013四天王寺ワッソ5】
【2013四天王寺ワッソ6】
【2013四天王寺ワッソ7】



11/11古典文学を楽しむ科遠足




11/18高大白熱教室・百人一首(向村九音




11月25日(月)小倉百人一首向村九音


11月25日(月)


13:00~共通講義⑦/⑧
四天王寺ワッソ2013
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  1. 2013/11/04(月) 23:38:39|
  2. 2013年11月

十二月の学習記録

12月2日(月)平家物語・向村九音(サキムラチカネ)先生





12月2日(月)クラスミーティング
12月2日(月)クラスミーティング/文化祭打ち合わせ
12月10日の高大文化祭に向けての事前打ち合わせでした。この準備作業には大変な労力を一部の方々に要したように思いました。作成の方々はありがとうございました。









12月9月 御伽草子・向村九音(サキムラチカネ)先生




12月9日(月)クラスミーティング




12月10日(火)高大文化祭(メイシアター)
今年度の各科、各クラブの活動内容を、色々な形で発表する機会に、なりました。古典文学を楽しむ科も充実した発表が出来ました。
  1. 2013/12/02(月) 19:52:52|
  2. 2013年12月

一月の学習記録

七福神 
あけましておめでとうございます。   


 三学期がスタート。三学期から講師が服部温子先生に代わりました。 


1月6日午前「徒然草」

          
兼好 (徒然草詳密彩色絵本より)                         

・枕草子、方丈記と並ぶ日本三大随筆の一つですが、書かれた当時はあまり注目されなかったらしい。室町時代以降の写本(正徹本)や江戸時代には絵入り写本が出版され町人のあいだでも広く愛読されるようになりました。

・作者の兼好は、南朝の後二条天皇に仕える官吏であったが、天皇の崩御によって出家した。歌人としても有名で、二条為世門下の四天王(頓阿、慶運、浄弁、兼好)と称された。続草庵集(頓阿の家集)に兼好と頓阿の折句が残っています。

折句:歌本来の意味の他に、別の意味のある言葉を織り込んでいる。知的な遊びの一種だが本音も覗かれる。南朝方で恵まれなかった兼好の生活の様子が伺えて面白い。

五七五七七の頭の文字や末尾の文字を並べると隠された言葉(意味)がわかります。 


(兼好頓阿)        

も涼 
覚めのかり 
まくら
そでも秋 
          
だてなきか

よねたまへ(米給え) ぜにもほし(銭も欲し) 
    

(頓阿の返歌) 
るも憂 
たく我がせ 
ては来
ほざりにだ 

ばし訪ひま 
 
よねはなし(米は無し)  せにずこし(銭少し) 


・「徒然草」は二四三段(序文除く)の文が収められていますが、内容は多岐にわたり、それまでの文学が取り上げなかった人々に光を当てた点でも注目されます。授業では、宇治の村人の水車の話(第五一段)、悲田院の尭蓮上人の話(第一四一段)、猫またに怯える連歌法師のおかしみのある話(第八九段)などを紹介していただきました。 



服部講師プロフィール     
パンダ    

・出身地:三重県鈴鹿市
・趣味:動物園に行ってパンダを観る、パンダグッズを集める。
・特技:口をあけずにあくびができる。
・略歴:奈良女子大学大学院博士後期課程、大阪体育大学非常勤講師、高大講師

自称ミスプリ(ント)の達人だそうですが、受講生の矢継ぎ早の質問に対して、打てば響くように次々と即答される実力は、なかなかの才媛とお見受けいたしました。 
 
 
一口レポートより(抜粋)   
4月3コーヒー  

・徒然草は、最初の所だけしか印象になかったのですが、意外に面白い内容だったのだと感じました。

・徒然草の中でも知らないことばかりで、先生の造詣の深さに感心しました。

・現在でも通じる教えとか、戒めみたいな事がたくさん書いてあり驚きました。

・単に徒然草を読むだけでなく、徒然草にまつわる周辺の話が聞けて大変有意義でした。

・兼好と頓阿の歌のやり取りが面白い。気持ちをストレートに言わず、歌に秘めて詠むとは奥ゆかしい。
 


1月6日午後「和歌と連歌俳諧」            宗祇

①連歌
 平安後期に始まり、鎌倉時代・室町時代(最盛期)に流行した。社交の芸事で文学ではないとされていた時期もあった。

和歌の上の句と下の句を交互に詠みあい、百句続けたもの(百韻)を一巻とする。
第一句を発句、第二句を脇句、第三句を第三、第四句から第九九句を平句、最後の百句目を挙句という。


とどのつまりを意味する「挙句の果て」という言葉の語源は、連歌の最後の句を意味する「挙句」からきているそうです。


詠み人が三人の場合は三吟、二人は両吟、一人だと独吟という。
宗祇・肖柏・宗長が詠んだ「水無瀬三吟」は連歌の最高傑作の一つと言われています。

第一句)雪ながら山本かすむ夕べかな 宗祇(発句)
(第二句)行く水とほく梅にほふさと  肖柏(脇句)
(第三句)川かぜに一むら柳春みえて  宗長(第三)
(第四句)舟さすおとはしるき明がた  祇 (平句)
~~~~~
(第九九句)いやしきも身をおさむるは有りつべし 祇(平句)
(第百句)人をおしなべみちぞただしき  長(挙句)


・いろは四七文字を句の頭に順に付ける「いろは連歌」や四八歌仙に因んで四八句を一巻とする四八歌仙連歌も詠まれた。  

                 

②連歌のルール (式目)   
  細かなルールが決められていました。

・和歌の言葉(雅語)のみを使う。:一年(ひととせ)、豊年(とよのとし)など

・古典的な連想をもとに付けていく。:竹の子・・・雪の中・親おふ人・横笛(源)

・必ず直前の句(前句)との連想で作句し、もう一つ前の句(打越)とは無関係にならなければならない。

・一巻の中で、一つの語を何回使っていいか決まっている。
 岩屋・隠家・すまい などは、二句以上あける。(可嫌打越物)
  
月・日・星 などの光りものは、三句以上あける。(可隔三句物)

・季節の句・恋の句は数句続けなければならない。
春・秋・恋・・・二句~五句、夏・冬・・・二句~三句


思い付きや洗練されていない付句は嘲笑の対象になったというから、詠み人には高い教養や記憶力が要求されたのでしょうね。 


③俳諧の連歌
お笑い(ふざけ、余興)を主とし、和歌の上の句(五七五)だけを続けて詠んだ。ルールも簡素化され、大名・町人に流行した。主な俳諧連歌師:松永貞徳・松尾芭蕉など

貞徳独吟

・うた(歌)いづれ小町おどりや伊勢踊 (発句)
・どこの盆にかおりるつらゆき(貫之) (脇句)
・空にしられぬ雪ふるは月夜にて (第三)
・・・・・



余禄
・時は今天が下しる五月かな  光秀 (発句) (本能寺の変の9日前の句)
  
 「土岐氏(光秀の出自)が今、天下を支配する」と読める問題の作。行祐(脇句)紹 巴(第三)と続く(愛宕百韻) 
  
・柳営連歌  徳川幕府が新年に開催した連歌の会
 
  
  
 

一口レポートより(抜粋)   
5月3コーヒー1

・ルールの難しさに驚きました。古典を勉強することで、その時代に連れて行ってくれる喜びを感じられます。

・ 深い知識を背景にした言葉遊びとしての連歌に、どう対応されたのか驚くばかりです。

・連歌は難しいね!! 知識がないと詠めない感じ。頭がよくないとルールから外れる。

・今日初めて、連歌が具体的にはどんなものなのかを知ることができました。

・ 連歌の仕組みがよく理解出来ました。

・ まわりの情景を連想しながら歌で詠む連歌の手法は、大変趣のある様に思えた。

・連歌、俳諧 このような難しい歌がなぜ流行したのか、なぜ時代がもとめたのか。   

                                      

1月20日「仮名草子」                      
江戸時代初期の本屋


 17世紀初めから井原西鶴の浮世草子が登場するまでの約80年間に出版された散文作品の総称。笑い話、教訓話、名所案内、事件報道など多岐にわたる。
後代には、{赤本」(子供向けの絵本)も出版された。
   

出版技術としては「古活字版」と「整版」があったが、江戸時代の出版物の80%は整版であった。「仮名草子」も整版でつくられた。
整版は、作者もしくは筆耕が書いた原稿を版木に裏返しに貼って浮き彫りにした。

整版が用いられたのは、当時の文字が草書体で活字に向かなかったのと、挿絵が多様されていたので整版が適していたためです。商業目的の本屋もできました。
「仮名草子」以前の出版物:仏書→医学書→古典→仮名草子



著名な作品には、おなじみの「一休ばなし」((作者未詳・寛永八年刊)や松尾芭蕉も愛読したという「竹斎」(富山道治・元和七年刊)などがある。いずれも当時の作者が書き下ろしたものである。

 「竹斎」は藪医者のことで、藪医者の竹斎がでたらめな治療をしながら京都、名古屋、江戸と転々と旅をする話で当時のベストセラーでした。

「仮名草子」は京都・大阪で始まり江戸に広まりました。当時、僧侶をはじめ家督を継げない武士や農家の二三男で寺小屋の先生をする者がいて、町民や裕福な農家の子弟はお寺や寺子屋で読み書きを習っていました。(そういえば、江戸の住人のの識字率が世界一:70~80%だったという話をきいたことがありますね)



一口レポートより                一休画像                 

・「一休ばなし」懐かしい思いがします。日本人のユーモアが楽しいです。



・ 江戸時代の出版が豊かになった背景に、人々の知識欲と、それに応えようとする技術の工夫があったのだろうと思った。

・御伽草子、仮名草子、浮世草子の違いがよく理解できました。

・江戸時代の出版の仕組みがよくわかりました。

・文化も京都大阪から江戸(東京)へと発展? 関西人も自信をもとう。

・戦国時代が終わり平和な時期の到来につれ文化・文学が発展していったと思うと、平和の大切さを実感します。







1月27日「井原西鶴」         井原西鶴

大坂で裕福な町人の家に生まれた(寛永19年・1642年)。(二年後に松尾芭蕉誕生)
15歳で俳諧を学び21歳で俳諧点者、34歳で妻を亡くし出家(法体になる)。
41歳(天和2年)「好色一代男」を刊行、大評判になる。
51歳(元禄5年)「世間胸算用」を刊行。52歳で死去。
元禄7年(1694年)「西鶴織留」などの遺稿集が刊行された。(同年松尾芭蕉没)

授業では「世間胸算用」巻1の3「伊勢海老は春のいろ」、「西鶴織留」巻1・2「品玉とる種は松茸」を読みました。

お金を話題にした話は、仮名草子の「長者教」(作者不詳)が初めてだが、西鶴は「世間胸算用」で金銭の世界を新しい文学の世界として描いてみせた。
 

江戸時代のお金

金貨は江戸を中心に流通
  大判=小判約
8両、小判=約10万円、一分金=小判の1/4=約25千円


銀貨は主に大坂で流通
  丁銀約
43匁=約68千円、豆板銀15匁=16008000円、銀1分=1/10匁=約160  
   円、銀
1匁=1600円、銀一貫=約160万円


銅貨(銭)
  一枚1文=約25円
 
 
一口レポート                       5月5コーヒー2

・江戸時代の庶民の暮らしが鮮やかに描かれ、興味深い。

・江戸時代の町人達の生活がよくわかる。また大晦日の町人の悲喜こもごもがわかった様に思う。

・西鶴が意外に若い時から活躍していたのに驚きました。

・西鶴のイメージが変わりました。「俳諧独吟千句」も紹介して欲しかった。

・アベノミクスに関連して経済小説の原点と言われる「日本永代蔵」を紹介して欲しかった。

・江戸時代の作家の経済的自立は、難しかったとのこと、趣味の域を出なかったとは・・・。

・西鶴の浮世草子には当時の庶民の女性のおおらかさが温かく表現されていて好感が持てる。







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  1. 2014/01/09(木) 13:30:00|
  2. 2014年1月

二月の学習記録

二月の学習記録
2月3日<午前> (松尾芭蕉と小西来山)
芭蕉を中心にその時代を代表する俳諧師である「芭蕉」と「来山」を比較しながら当時の俳諧人やその時代の風景を詳しく、且つ面白く説明して頂き、あまり知らなかった俳諧の世界を覗くことが出来ました。
●「芭蕉」と「来山」は、ほぼ同時代の人である。 
                    ①300px-Haiseiden

【松尾芭蕉】(まつおばしょう) 【小西来山】(こにしらいざん)
  1644年      伊賀で、地侍級農家の次男として誕生 
        1654年      大坂で、薬種商を営む家に出生
  1662年  19才 藤堂藩の嗣子・良忠(よしただ)に出仕
  1664年  21才「宗房」(そうぼう)の号で俳階に発句が入集
  1666年  23才 良忠病死により致仕
   1668年           15才 俳階をはじめる?
                     20才前後で宗匠になったか?
  1672年  29才 俳階師として立つ決意をし、江戸へ下る 
  1677年  34才 宗匠になる 「桃青」(とうせい)と改号
  1680年  37才 4月『桃青門弟独吟二十歌仙』刊行
             冬、宗匠を引退し、深川に隠棲する
  1681年  38才 門人から芭蕉を贈られる→「芭蕉」号
  1684年  41才 『野ざらし紀行』の旅
  1689年  46才 『奥の細道』の旅→江戸帰着は2年後
  1694年  51才 7月、お盆で伊賀に帰郷
             9月、門人の喧嘩仲裁のため大坂へ
             10月12日死去
   
1701年          48才 母が没す
   1704年          51才 この頃最初の結婚→三年後には妻没
   1708年          55才 「女人形の記」成るか?
   1709年          56才 後妻を迎える
   1716年          63才 10月3日没 

                    ②hi               ③DSCN1508-31

★ 大坂の「来山」、江戸の「素堂」(そどう)は、人気俳階師であった。
★ 「素堂」は、「芭蕉」と同じ宗匠・「季吟」(きぎん)に師事した兄弟弟子。
★ 「芭蕉」は、没後、約50年後に注目されて人気を得た。
★ 「季吟」は、地下歌人と呼ばれる町人社会で活躍した歌人。
              地下歌人 ⇔ 堂上歌人
★ 「芭蕉」は、パトロン(弟子、後援者等)のあしらいが旨くなかった模様。
   したがって、あまりお座敷がかからなかったようである???


【松尾芭蕉】 
                                     ④220px-Basho_by_Hokusai-small

《地下歌人・芭蕉の真骨頂》
■ 既存の歌人や、ルールに対する反発と新しい試みがあったのかも ???
         
★ 和歌・連歌への対抗心   (『野ざら』し紀行の旅以後)  

  山路きて 何やらゆかし 菫草
           すみれくさ
     
辛崎の 松は花より 朧にて
からさき             おぼろ

★ めでたくない歳旦吟    (『おくの細道』の旅以後)
 

薦を着て 誰人います 花のはる
こも
     
大津絵の 筆のはじめは 何仏

★ 気に入らないからやり直し (『おくの細道』の旅後
 

木のもとに汁も膾も桜かな  (芭蕉)
こ         しる    なます
西日のどかによき天気なり  (珍碩) 
旅人の虱かき行春暮て     (曲水)

         
木のもとに汁も膾も桜かな  (芭蕉) 
明日来る人はくやしがる春  (風麦) 
蝶蜂を愛する程の情にて   (良品)

   ↑ 芭蕉は、これで納得したのか、それとも???


【小西来山】
《来山の酒好き》
★ 多くの句はお酒に繋がっている

 
 
京酒に一月はやき涼哉  


今日桃の花に科なし色上戸
              じょうご  
夏の夜も酒気の果てを寝覚哉 

                                                      ⑤DSCN1512-1
《「来山」の人形好き》
   物言わぬ人形を相手に楽しく日々をおくった来山、きっと常人と異なる独自の感性をもって
    生まれたのかもしれない。
  いろいろな角度から人形を観察して共に遊ぶ姿を想像するとチョッと理解し難いところも・・・・・・

《「芭蕉」と「来山」》  
   没50年後に世に認められて、今も大スターである「芭蕉」
  当時の花形俳階師であったが、今は知る人ぞ知る「来山」
  どちらが、悔いない人生(俳諧人生)をおくったのであろうか・・・
  

《残念?!?「小西来山」》 
                                                 ⑥6575

★ 四ツ橋の碑 
  すずしさに 四ツ橋を四つ 渡りけり  (盤水)
この句は、「」の代表的な句として長々と四ツ橋の石碑に刻まれていたそうである。
が、近年になって「盤水」(ばんすい)の作であることが確認されて、
「来山」の名が石碑から消されたとのことである。
やはり、
には、よりがよく似合っているのかも・・・・・

                                 ⑦6574       
        
                             ↑ミニ四ツ橋です、一度渡ってみては

◆ 一口レポート
    ・芭蕉の生涯と俳句の流れが少し理解できました。
    ・俳句の方が身近なものに感じられました。でも季語が難しいですね。
    ・小西来山と言う名は覚えていましたが、なかなか変わった趣味を持っていたんですね。
    ・小西来山という俳階師、あまり知りませんでした。人柄や面白い句を勉強できて良かった
    ・僅か20年の間に、俳階師として凝縮した人生を送った、芭蕉のすごさを感じました。 
                                                            ⑦ー21CB

2月3日<午後> (クラスミーティング)
・ 2月8日のジャズコンサートに関する周知。
・ 3月10日に班単位で実施予定の学習成果発表会に向けて
・班毎に今後の作業内容、スケジュール等について事前準備を実施。


2月8日(土曜日)
 (社会への参加活動・ジャズコンサート)
  朝から薄っすら雪景色、とにかく寒い。〈大阪城梅林も雪〉 
                         ⑧式 252 (640x427)
でも皆さん元気にいずみホールに集合、
大阪府高齢者大学校と大阪音楽大学が贈る第6回音楽会
「ジャズコンサート」を楽しみました。 
                 ⑨IMG_20140309_0004 (1)                   ⑩IMG_20140309_0004 (2)
 アンコールナンバーは、「ルート66」
(注)「古典文学を楽しむ科」は、社会への参加活動としてジャズコンサートに
参加しましたので、2月17日(月)は休みとなります。

         
◆ 一口レポート
 ・ 知っている曲が多くてとても楽しかった。
 ・ ジャズの歴史が解って面白かったし、自分の好きな曲が多かったので楽しかった。
 ・ ジャズ、最高でした。でも寒かった・・・いつもクラッシックばかりなので、気分転換になりました。
 ・ 寒かったので少し早く内部に入れて頂いたので、ホットしました。お手伝いの方、寒くてご苦労さまでした。 
                                           5月3コーヒー1

2月10日 午前(近松門左衛門)

近松門左衛門   、竹本義太夫、宇治加賀掾等による人形浄瑠璃の起こり、近松をめぐる人間模様や作品をめぐる葛藤、そ極の「心中物」が如何に当時の民衆に受け入られ、影響を及ぼしたかについて当時の時代背景を含めて教えて頂きました。
【近松門左衛門】
   31才の時に「宇治加賀掾」のために書いた「世継曽我」が評判になる。
   33才義太夫」のために「出世景清」を書く。
   41才の頃から以後10年、坂田藤十郎のために歌舞伎狂言を書きつづける。
   51才の時に実話をもとに「曽根崎心中」を書き、上演、大評判となる
   53才竹本座の専属付作者となる。
   63才「国性爺合戦」が大当たり。
  享保8年(1723)「心中者」の上演が禁止となる。
  享保9年(1724)72才で没。 
                                      ⑪Chikamatsu_Monzaemon
「人形浄瑠璃」と「文楽人形」
 「浄瑠璃(操)」、「操芝居」などと呼ばれていた。
 大正時代以降「文楽」と呼ばれるようになったようである。
 「人形浄瑠璃」、「文楽人形」も同じ意。
 【人形浄瑠璃の構成】 
 語り:竹本義太夫、宇治加賀掾 等。
 三味線:語りを補助、重要な役割を担う。
 人形師:人形を操る。 
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「心中物」

「曽根崎心中」:平野屋手代<徳兵衛>と天満屋の遊女<お初>が曽根崎で心中した実話をもとに近松門左衛門が脚色し書き下ろした作品である。

元禄16年(1703)5月に上演され大評判となった物語。

その後も、「心中物」が異常な人気、「心中」が流行し社会現象となってしまったとのことである。

そのことによって、

享保9年(1723)8月に「心中物」の上演が禁止されることになった。

                               ⑭yjimageM2L3NSEZ

【近松をめぐる宇治加賀掾、竹本義太夫】
浄瑠璃の興行も、作品のよしあしにより評判を得ることになる。
加賀掾、義太夫も興行成功のため近松の作品を奪い合ったのかも知れない。
最終的には、近松門左衛門は、竹本座の専属付作者になり、加賀掾への作品の提供はなくなった。
加賀掾は、井原西鶴の作品を中心に活躍することになった。
竹本座(義太夫)も、宇治座(加賀掾)も作品に恵まれて興行的にも順調であったが、宇治座が火事に見舞われて消失、以後復活はならなかったとのことである。
「心中物」の人気、作品の奪い合い、まさに現在の三面記事を覗くようなところかも。 
                                        4月3コーヒー
◆ 一口レポート
    ・ 古典文学の中でも文楽が一番好きです。楽しい2時間でした。
    ・ 文楽(人形使いと語り、三味線)はなぜ人気がないのだろう。歌舞伎は人間が演じるから親しみがわくのか?
    ・ 近松によって、大阪の文化を再認識しました。「文楽」を大切にしなければと思います。
    ・ 道行のCDを聞かせて頂き、雰囲気を味わって良かったです。
    ・ 文楽を思い出しながら聞きました。3Dの世界に入ったように感じました。

2月24日 午前(与謝蕪村)
与謝蕪村の作品を通してその生涯や、作品である俳諧や、蕪村独特の感性や、特異な才能について詳しく解りやすく説明をして頂きました。
これから、蕪村についての考え方や、接し方が変わることになった人が多いのでは。
   
           ⑮buson
【蕪村】
   享保元年(1716) 摂津国毛馬村(大阪市都島区)に出生。
     20才前後、江戸に下り、夜半亭巴人(はじん)に入門、俳諧をはじめる。
     27歳、巴人没後に江戸を去り、約10年間北関東・東北地方を放浪する。
     29歳、歳旦帖刊行。「蕪村」と名乗る。
     36歳、上京。以後も丹後・讃岐地方などを訪れる。
     51歳、三菓社を結成し句会をはじめる。
     55歳、夜半亭二世を継承し、俳諧宗匠になる。三菓社も夜半亭と改称。
     59歳、『安永三年春興帖』刊行。
     62歳、『夜半楽』刊行。
  天明3年(1783)68歳。12月25日没。

【異彩な蕪村】
 景気の句
  (注)正岡子規により改めて認められたといわれている

春の海 終日のたり のたり哉
   ひねもす
  
菜の花や 月は東に 日は西に

さみだれや 大河を前に 家二軒

 
人事の句
  (注)写実的な句ではなく特定の題に対して詠まれる句

鳥羽殿へ 五六騎いそぐ 野分哉 
とばどの               のわき 

身にしむや なき妻のくしを 閨に踏
              ねや ふむ  

宿かせと 刀投出す 吹雪哉
      なげだ
 
『安永三年蕪村春興帖』(正月版)より
「春興帖」とは、一年を閉める、もしくは新しい年に向けての、お楽しみ袋付といった趣のある俳書といったところであろうか。俳諧の知識および一般的な知識を要しないと理解が難しく、句会の常連やスポンサーに配され、楽しまれたのではと想像する。
  
                    ⑯IMG_20140309_0003   
雉子啼や 梅花を手折 うしろより   帯川(たいせん)
          たおる     

   <訳>梅の花を折ろうとした瞬間、後ろで雉子が鳴きはっとした。
    
謡曲「羅生門」
近頃、羅生門に出没する鬼を退治するために来た、渡辺綱。
ぞっとするような雰囲気だが鬼はいない。帰ろうとすると後ろから兜の”しころ”をつかんで引き留めたので「あっ、鬼が出た」と鬼を切ろうとしたところ、鬼が掴まえていた兜の緒が切れたので、綱は思わず壇上から転げ落ちた。

               ⑰IMG_20140309_0002  
              
 綱が鬼に兜の”しころ”を掴まれている挿絵

 ⇒ この謡曲を知っているからこそ前段の句と挿絵がつながって
   意味が理解出来て”お楽しみ袋”に満足したのでは・・・

『春風馬提曲』
俳体詩。与謝蕪村作。1777年(安永6)春刊の《夜半楽(やはんらく)》に発表。発句体,絶句体,漢文訓読体と雑多な短詩形を交互に18首連ね,やぶ入りの少女が淀川の毛馬(けま)堤を家郷へたどる様を描いたもの。実は蕪村のやみがたい望郷の念が託されており,その豊潤な詩情,高い格調,確かな構成力は,支考流の仮名詩の域を脱し,独創的な長詩となった。漢詩,和漢俳諧の流行が背後にあり,清水孝之は明の徐禎卿(じよていけい)の楽府体連作《江南楽八首》の影響を指摘する。 

                                                    ⑱img108
余一日問耆老於故園                   私はある日、古い友人に逢うためふるさとを訪ねた。
渡澱水過馬堤                       淀川を渡り、馬堤という所で
偶逢女帰省郷者                     たまたま帰郷する娘さんと一緒に同じ道を歩いた。
先後行数里                        後になったり先になったりするうちに
相顧語                           自然と親しくなり話をするようになった。
容姿嬋娟                          とても美しい女性であったが、
癡情可憐                         どこかあどけなさも残している人であった。
因製歌曲十八首                     よって、私は十八首の歌を作り
代女述意                         彼女の心情を代わりに述べてみようと思う。
題曰春風馬堤曲                    題して「春風馬堤曲」という。

やぶ入りや浪花を出て長柄川            (やぶいりや なにわをいでて ながらがわ)
                                 ※薮入・・・奉公人が里帰りする一月のお休みの日
春風や堤長うして家遠し               (はるかぜや つつみ なごうして いえとおし)
堤ヨリ下テ摘芳草 荊与蕀塞路           土堤を下りて春草を摘みました。
                               行く手を塞ぐようなイバラの棘がありました。
荊蕀何妬情 裂裙且傷股              イバラはどうしていじわるするのでしょう。
                               着物の裾が痛み、腿にも傷がついてしまいました。
渓流石転ゝ 踏石撮香芹               渓流に石があり、その石を踏んで芹も摘みました。  
多謝水上石 教儂不沾裙              ありがとう、水の上の石たち。
                               おかげで着物を裾を濡らさずにすみました。
一軒の茶見世の柳老にけり             (いっけんの ちゃみせのやなぎ おいにけり)
茶店の老婆子儂を見て慇懃に            子供の頃から知っている茶店のお婆さんが私を見つけ、
無恙を賀し且儂が春衣を美む            つつがないことを喜び、私の着物を誉めてくれました。
店中有二客 能解江南語               お店には二人の客が居て、江南言葉で話していましたが、
酒銭擲三緡 迎我譲榻去               私の姿を見つけるとお金を払い、席を譲ってくれました。
古駅三両家猫児妻を呼妻来らず          古びた街道に三軒の家、恋猫がメスを呼んでいます。                       
                              どこにいるのでしょうか、メスは来ません。
呼雛籬外鶏 籬外草満地              生垣の外では親鶏が雛たちを呼んでいます。      

雛飛欲越籬 籬高堕三四               垣の外は草が満ち、雛は垣を羽ばたいて越えようと
                              するのですが越えられず 三羽四羽と落ちています。
春艸路三叉中に捷径あり我を迎ふ        春、はらっぱの三叉路、その狭い道が故郷への道、
                              私を待ってくれていたかのようです。
たんぽゝ花咲けり三ゝ五ゝ五ゝは黄に       タンポポの花が三々五々に咲いています。
三ゝは白し記得す去年此の路よりす        五々は黄色、三々は白。
憐みとる蒲公茎短して乳を浥            去年もこの道を通って故郷へ帰ったのでした。
                              なつかしさがこみ上げてきます。
                              タンポポを摘むと、短く折れた茎から乳色の汁がにじみました。
むかしむかししきりにおもふ慈母の恩      昔昔しきりに思う やさしかったお母さんの恩。
慈母の懐袍別に春あり               母の懐はあたたかく もう一つの春のようでした。  
春あり成長して浪花にあり             春あり 私は今、大人になって大阪にいます。
梅は白し浪花橋辺財主の家            白い梅の咲く浪花橋の商家で奉公しているのです。
春情まなび得たり浪花風流            人並みに都会のお洒落も身につけたつもりです。
郷を辞し弟に負く身三春              故郷を出て、幼い弟たちを残し三年が経ちました。
本をわすれ末を取接木の梅            私は根本を忘れ、末をとった接木の梅の様です。
故郷春深し行ゝて又行ゝ              故郷の春は深く、ひたすらその道を歩いてゆくと、
楊柳長堤道漸くくだれり               柳の続く長い堤があり、道が下ってゆきます。
矯首はじめて見る故園の家黄昏         ふと目を上げると、黄昏に染まった懐かしい家が見えてきました。
戸に倚る白髪の人弟を抱き我を待       そこには一人の白髪の人、
                             母が弟を抱いて私を待っていてくれました。
春又春                         春…、また春…。
君不見古人太祇が句                あなたは知っているでしょうか。この太祗の句を
薮入の寝るやひとりの親の側           (やぶいりの ねるや ひとりの おやのそば)

2月24日 午後(クラスミーティング) 
   ・ 3月10日学習成果発表会の実施につい説明と確認。
   ・ 謝恩会は、3月20日(木)修了式の後、同じ会場の食堂で実施。
   ・ 修学旅行についての変更要素の口頭説明、詳細は次回、資料で説明。
   ・ 各班毎に、学習成果発表会に向けての準備作業等。 
                                                         ⑦ー21CB
◆ 一口レポート   
   
    ・ 大阪に縁の深い、蕪村の面白い句にふれてよかったです。 
    ・ 蕪村の面白さを再発見させてもらいました。
    ・ 春風馬堤曲、春ののどかな景色と人情が詠まれ、もう一度ゆっくり読んでみます。  
    ・ 蕪村の句が写実的で、空間的にもスケールが大きいのは、画家の目があったからだと納得しました。
    
  1. 2014/03/02(日) 15:58:30|
  2. 未分類

三月の学習記録

平成26年3月17~18日(月・火)
≪修学旅行・出雲≫

(参考)『島根博』


平成26年3月10日(月)
≪学習成果発表会≫



野村班長あいさつ


3班『とりかえばや物語』


4班『竹取物語』


1班四天王寺ワッソ参加報告
http://kotenwasso.blog.fc2.com/

2班『一寸法師』


6班『万葉集』


5班『奥の細道』


谷内委員長挨拶






平成26年3月3日(月)
≪上田秋成≫講師 服部温子先生

①上田秋成とは
1734年(享保19年)大坂生
1968年『雨月物語』を書き上げる
1776年『雨月物語』刊行
1809年死去

②『胆大小心録』『雨月物語・菊花の約(チギリ』『雨月物語・浅茅が宿』が代表作でした。


  1. 2014/03/03(月) 08:04:40|
  2. 2014年3月

学習成果発表会

五人の難題
  1. 2014/03/10(月) 10:51:10|
  2. 未分類

蓬莱の玉の枝

  1. 2014/03/10(月) 10:53:26|
  2. 未分類

学習成果発表会

学習成果発表会
  1. 2014/03/10(月) 11:00:29|
  2. 未分類

大伴の大納言他

  1. 2014/03/10(月) 11:11:28|
  2. 未分類

二班 一寸法師

  1. 2014/03/10(月) 11:57:28|
  2. 未分類

万葉集

  1. 2014/03/10(月) 13:52:46|
  2. 未分類

万葉集2

万葉集2
  1. 2014/03/10(月) 14:01:18|
  2. 未分類

万葉集の最後の歌

万葉集の最後の歌
  1. 2014/03/10(月) 14:19:05|
  2. 未分類

芭蕉

奥の細道
  1. 2014/03/10(月) 14:33:41|
  2. 未分類

平泉、

夏草や 兵どもが
静かさや岩にしみいる蝉の声

  1. 2014/03/10(月) 14:45:34|
  2. 未分類

蝉の声

蝉の声
  1. 2014/03/10(月) 14:50:17|
  2. 未分類

西施

  1. 2014/03/10(月) 14:57:18|
  2. 未分類

旅に病で夢は枯れ野をかけ廻る

野ざらし紀行
  1. 2014/03/10(月) 15:00:55|
  2. 未分類

おしまい

おしまい
  1. 2014/03/10(月) 15:06:44|
  2. 未分類

修学旅行1










  1. 2014/03/17(月) 07:58:36|
  2. 未分類

3月17日(月)修学旅行

  1. 2014/03/17(月) 09:26:17|
  2. 未分類

大山

  1. 2014/03/17(月) 11:57:43|
  2. 未分類

修学旅行2


  1. 2014/03/18(火) 07:50:00|
  2. 未分類

修学旅行3

  1. 2014/03/18(火) 09:05:36|
  2. 未分類

3月20日(木)終了式

  1. 2014/03/20(木) 13:06:33|
  2. 未分類

終了式2

  1. 2014/03/20(木) 13:15:08|
  2. 未分類

終了式3

  1. 2014/03/20(木) 13:24:51|
  2. 未分類

終了式4

  1. 2014/03/20(木) 14:22:09|
  2. 未分類
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